2016年9月19日月曜日

生きづらさを抱えた人たちに、何ができるのか。 〜解脱者、セカイを救う〜



 先日より、ずっと気になっているニャートさんのブログが、ちょっとした議論を巻き起こしているらしいので、まずはそこから紹介しておく。




 生きづらい人々の受け皿がプロブロガーしかない問題(BLOGOS)
 http://blogos.com/article/191004/?p=1




 この記事は、簡単に言えば大学を卒業して会社に就職して、多くの人はそのまま会社員人生をまっとうするのだが、そこから逸脱した人間に対しては、セーフティネットややりなおしが効かないので、「ちょっと怪しい(情報商材的)プロブロガー」に引き寄せられてしまう、というものであった。



 ところがこの記事のBOLOGOSコメントを見ると、「転職を繰り替えす人生を送っていて、成功している人もいる」とか、「さすがに、(怪しい)プロブロガーしかない、っちゅうことはないぞ」といったツッコミも多く見られるわけで、心やさしい武庫川としては


 そうしたある意味正論でもある厳しいコメントを受けて、ニャートさんが落ち込んだりしないかが、ちょっと心配になったりする。







 大上段に宣言しておくが、解脱者武庫川散歩は、女性にはやさしいのだ。(むろん、男性には厳しい)





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 もちろん、ニャートさんの論調が「ブロガー」に偏っているのは、その話の元ネタが、



 4か月で大学を中退し起業します。
 http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/09/15/193000



というI君という男子のブログ記事であるからであって、さすがに「会社員以外の選択肢がブロガーしかない」ということではないだろう。


 ちなみに、私は男子には厳しいので、前回セカイネタでお話したように、「イス取りゲームから脱落してくれる相手」がいることは、



 たいへんに望ましい



ことであると考える。むしろ、多くの男子の本音は、そこにあるとおもわれ。







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  ここで、武庫川の身の上話をするとすれば、武庫川は転職もしているし、病気にもなったし、無職だった時期もたぶんあるし、今はかろうじて職を得て世をしのぶ仮の姿で生きているのだが、


 大型免許を持っている



ので、ブロガー以外にも、口に糊することはできそうだし、



旧情報処理技術者資格のはしくれも持っている


ので、コンピュータの世界に造詣がないわけでもない。


 要するに、コメントを寄せている多くの方と同じように、「ブロガー以外にも生きていく方法はたくさんある」ということはわかっているのだが、それは本質論から離れていくのでここでは一旦脇に置いておきたい。





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 ニャートさんがこの記事で言いたいことは、おそらくは以下のようなことだと思う。



■ 社会の一定のレールに乗れない、あるいは降りた人たちが、ヒッピーや、新興宗教や、自己啓発セミナーやマルチ商法にのめり込んだりして、「新しい生き方を模索する」手段があったが、新時代にはブロガーという方法が出てきた。


■ その中には、「心の病」などで、降りざるを得なかった人たちがいて、彼らがある種搾取されてしまうのは、問題だと感じる。


■ しかし、自分も人の子であるから、そうした弱みに希望を見せられたら、ひっかかってしまうかもしれない。


■ ああ、弱った人たちが守られる社会であったらなあ。



・・・・こういう単純な願いであろうと思うのである。



 そして彼女がいうには、「そうなってしまった人たちが、罠に搦めとられずに、なんとかしのいで、できれば復活してゆくための方法(ライフハック)や、援助のシステムを生み出せないものか」ということなのである。



 この考えには、解脱者も全面的に賛成する。



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 何度かこのブログに書いているが、諸事情で武庫川はメンタルに問題を抱えた人たちに、結果的に手を差し伸べた経験が何度もあり、うまくいったものもあれば、うまくいかなかったものもある。


 なぜそういう役回りなのかは、世の忍ぶ仮の姿での昔の仕事やら、悟りを開く前の某JWの信仰やら、いろいろな事情が複雑に絡み合っているのだが、それは、私のことを知っている人にはきちんと説明しているので、ここで書かなくてもよい。



  彼らの中には、情緒に問題がある者もいたし、レイプされた女子もいたし、望まぬ妊娠に悩んだものや、おそらくボーダー(境界例)の可能性があるものや、パニック障害を患う者もいた。




 そうした生きづらさを抱えた人たちを最終的に、救うとまではいかないまでも、ある程度社会復帰をできるように支援するモノとは何であったかをずっと思い出しているのだが、そこには2つの重大なポイントがあると感じる。




ひとつめは、なんと言っても「経済力」だ。



 いくら偉そうなことを言っても、ご飯が食べられなくてはいかんともしがたい。だから、武庫川が支援したアホな女子の中には、「風俗で働こう」とか、「男のところへ転がり込む」的な発想になってしまった者もいる。


 とにかく、ある程度の現金は必要なので、武庫川は金銭的援助をしたことだってある。


 ニャートさんが、「プロブロガー」にふらふらと吸い寄せられそうになるのは、「そこに稼ぐ力」があることに、気づいているからである。


 そしてできれば、親御さんの力を借りられれば、それに越したことはない。






 しかし、ふたつめのほうが重要だったりする。それは「愛」である。


 ああ!まるでキリストの説く隣人愛のようになってしまったが、支援者から見れば、「何としても力になろう」という意志であり、支援されるものから見れば


「ああ、わたしは一人ではない。わたしには味方がいる」


という確信以外の何者でもない。



 この「味方がいる」という確信ほど、力の源泉になるものはない、と解脱者は思っている。



 しかし、この世知辛い世の中のこと、ふつうに考えれば「何の見返りもなく味方になることや、なってくれること」というのは意外に難しい。


 先に支援が「失敗した」話もしたが、味方をするということは、時には「本人が拒絶をしても、応援できるか」という問題を孕む。


(このことは、性善説の人にはよくわからないかもしれないが、メンタル系の方を相手にしているとかなりの頻度で生じる。彼らは多々、支援者を非難し、良いと思われる方向と真逆の方向に進もうとするのである)


 これを支援者が乗り越えるには、キリストのような愛の精神を持っていないとできないのだ。





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 ニャートさんは、「生きづらさを抱えた人」がその後の人生を送るための「ライフハック」や「システム」に興味がある、という。


 解脱者武庫川は、それより本質的な「そもそも、心が壊れないための、軸足」のようなものを伝えてゆこうと思っている。



 わたしは、「あなたの心を壊さない」という大きなテーマに挑戦しようというわけだ。


 それが、宗教的に言えば「悟り」であるし、宗教色を排しても、充分に成立する「生き方・生き様そのもの」であると考える。



 だから、まずは宣言しておく。



 『ニャートさん、セカイがあなたの敵となっても、私はあなたの味方をする。だから、落ち着いて、穏やかに、あなたのやりたいと思ったことにチャレンジしてください』


と。














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