2016年5月12日木曜日

セカイ系 解脱者解く、この世界の真実! ~世界は実はシンプルなんだ!~



 それは昨日のことでした。


 なあんだ!セカイはとってもシンプルだったんだ!


と思わずSTRしてしまった武庫川散歩は、世を忍ぶ仮の姿で営業に出ていたのです。



 その時武庫川は、宝塚あたりをうろちょろしていたのですが、突然ビビビと来て、この世界の成り立ちについてDAIGOしてしまった!というわけ。





 え?STRって何か?



 SaToRiに決まってんじゃないすか(笑)




 え?DAIGOがどうしたって?


 あ、ごめん大悟だった!


 注)「大悟」 ・・・真理を悟ること。




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 はい。というわけで、今日も解脱小ネタをまくらにはじまった武庫川散歩のセカイノハジマリ。


  このブログのファン以外には、なーんにも面白くない、解脱ネタですが、今日は教義的にはなかなかの真理をぶちかますつもりです。






 この武庫川散歩、解脱者となってからというもの、



「このセカイは一体全体どうなっているのか」


とか


「このセカイは、今後どうなってゆくのか」


とか、哲学的な自問をいつも重ねていたのですが、それらがスカッと単純な理論で言い表せることに気づいた次第です。



 だから、今回のお話は、「悟り、であり哲学」でもあります。




 というわけで、昨日悟った真実によれば、この世界は単純な2つの論理で表すことができます。





 <この世界を表す定理>
 
1   この世界は、平衡で、閉じている。

2   創造主は、感情を持たない。




  はい。これだけで、私たちが生きているこの世界や宇宙をすべて包括することができる、と武庫川はえらそうに主張してけつかるわけです。



 
 でも、さすがに上の2つの定理をならべただけでは、なんのことかわからないと思うので、もう少しわかりやすい解説を付け加えておきます。





【定理1】

 この世界は平衡で閉じている。


 ・・・閉じている、というのは、たとえば地球であれば、無限に広がっているわけではなくて、球体の中にいわゆる世界は納まっているわけですから、開いているのではなく、閉じており、有限である、ということを示します。


 この有限で閉じている、ということはとても大事で、ビッグバンの理論でもわかるとおり、宇宙は始まりから現在、そして未来にむかって「広がっている」わけですから、その最も外周の縁があるわけです。

 とすれば、ビッグバン宇宙のように「無限に広がり続けるんじゃないか?」と一見思いがちですが、そのことは「広がる可能性がある」というだけで、過去から現在に至るまでは、常に「最外周の内側はずっと閉じ続けている」ということでもあるのです。


 もっとわかりやすく、話のレベルを落とすと、たとえば人類にとっては、宇宙そのものが存在しようが、太陽が消滅した時点で地球も終わりだということはわかると思います。


 つまり、太陽系は有限だし、閉じています。地球と人類の究極的な寿命も、基本的には有限で閉じているわけです。


 人がかならず死ぬのと同じで、地球もいつか死ぬのです。



 さて、この閉じた世界では、閉じているがゆえに、その内側にある物質の総量はほとんど変化しません。

 化学反応式の右辺と左辺の総和が同じであるように、地球や閉じた宇宙の内部で何が起こっても、総和としては変化しないわけです。


 これを「平衡している」と捉えます。


 平衡というのはシーソーのバランスみたいなもので、片一方が上がっていても反対が下がっているので釣り合いが取れます。

 地球内部で起きていることは、誰からにとって良いことでも、反対の視点から見ると悪いことですから釣り合いが取れているのです。



 ヒトにとっては、食べることは善で正義です。しかし、食べられる動植物にとっては、悪で、あってはならないことです。地球全体の俯瞰で見ると、善と悪という概念ですら、平衡バランスの一面であるわけです。






【定理2】

 創造主は感情を持たない。

 

  ・・・定理1が、閉じた世界の内側の話だとすれば、定理2は「外側」について定義するものです。

 創造主がいるのかどうかは不明ですが、世界が閉じているのだとすれば、その外側があるというのは特段おかしな考え方ではないと思います。


 その外側を「神」と捉えてもいいし、「創造主」と捉えてもいいでしょう。


 しかし、ここで間違ってはいけないのは、その神様や創造主なる「外側」は、感情を持ったりしないことです。



 なぜ?



 神様や創造主を信じる人たちは「神は意図や意思を持ってこの世界を創造した」と考えますが、その”意図や意思”の具体的な中身を論じぬままそれを語るのは問題があります。


 私たちの脳が行っている「意思や意図」というのは、化学物質による反応と、電気信号による伝達という純粋な物理科学現象によって具体化されています。


 とくに、わかりやすく言い直せば「感情や情動」の正体は、科学反応だということです。


 そして、この世界の全てが、物理科学現象によって生成されているとするならば、いわゆる私たちが考える


「感情・情動・意思・意図」


といったものは、すべて物理科学現象によってアンダーコントロールされている、と言うことができるでしょう。


 逆説的に言えば、「感情や情動や意思や意図は、物理科学現象の上に成り立っているし、物理科学現象の範疇からは出られない」ということです。



 ということは、閉じた世界の創造主が「自分で作った物理科学現象のしくみ」に支配された感情や情動や意思や意図を持つ、というのは構造的にナンセンスですよね?


 だから、閉じた世界の外側の存在は、いわゆる私たちがついイメージしそうな「感情(とそれに類するすべての脳活動とおなじもの)とは次元が違うところにある」と言えるのです。



 つまり、創造主から見て、私たちがどう生きていようが、どのように存在しようが、それを見ても「なんとも思わない」ということが明らかになるのです。




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 実は、この2点にさえ気づけば、この世界で起きているすべてのことは、



 完全に説明がつくし、すべてを表現できる



のです。



 次回は、そのあたりの説明をしてゆきたいと思います。


(つづく)








 


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