2016年2月26日金曜日

<特別編> エホバの証人を辞めた後に読んでほしいアドバイス 〜新しい自分を再構築するために〜

 本来このブログのメインのお話ではないのですが、私も元エホバの証人2世でしたので、


「エホバの証人を辞めた後にどう生きるか」


について、多少なりとも書いておこうと思った次第。




 私自身は、自ら棄教したため、エホバの証人として活動していた過去については、ほとんど全くといっていいほど「気にしていない」のですが、それでも、キリスト教思想やその原理主義において、思考のベースを乗っ取られている部分がないわけではありません。


 なので、じゃあ、どんな風に乗っ取られているのかを含めて、エホバの証人から出た後に、こころがどのように揺れ動くか、またその解決法についてまとめてみようと思います。



 まず、エホバの証人との関わりが無くなるプロセスは、大きく分けて3つあると思われます。




<1> 自然消滅

  まだ入信の表明をしていない段階では、比較的起きやすい自然消滅ですが、たとえば転勤になったとか、「なんとなく集会にゆくのがおっくうになった」とか、「教義も含めてよくわからなかった」ということはあります。

 その場合、いわゆる兄弟姉妹たちが、なんとか「聖書を学ぶこと」を続けさせようとある程度の勧誘を続けますが、他の暴力的な宗教とは異なり、拉致監禁をするとか、拘束するとか、集団で説教するなどの行動はほとんどないので、身体ともに傷つくようなことはないと思います。





<2> 離脱・棄教

 自ら進んで会衆を離れるのはいくつかのパターンがありますが、「教義そのものに、疑問点を抱く」場合や、「教義そのものではないが、それを実践している会衆の人間に疑問を抱く場合」などがあるでしょう。

 自ら進んで離脱した場合は、どちらかというと「教義に対しての洗脳」のようなものは解けると思われるかもしれませんが、そうではなく、「エホバの証人の教義の根幹」については、意外と抜けません。

 たとえば、「創造主は存在するのではないか?」とか「エホバは存在するけれど、ものみの塔の解釈とは違う形で存在すると信じる」とか、「聖書にはこう書いてあるのに、会衆はそれをきちんと実行していないのでダメだ」とか、そうした様々な形で、「キリスト教の中核部分」が心の中に残るため、そうした人たちは、新たな宗教、より正しい宗教を求めてさまよい始める場合もあります。





<3> 排斥 

 最後は、会衆側から排斥される、つまり「お前はダメだ」と認定される場合です。これは、本人はある程度「信仰を維持したまま」であるのに、「その行状にアウト判定を下されて、失格を申し渡される」わけですから、ものすごいストレスになります。

 言い方を変えると、神に「おまえは滅ぼす」という宣告をされることと教義上は同義なので、排斥によって会衆を離れた人は、罪悪感をまず持つことになるわけです。

 多くの場合、排斥の理由は「不道徳」であり、そうした不道徳な行いは、エホバの証人の外の世界でも非難される領域とかぶっているので、排斥された本人の後ろめたさは、なかなか消えづらいものがあるでしょう。




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 さて、理由はともかくエホバの証人を離れても、こころの奥底に残っている「乗っ取られている部分」というのがあります。


 そのもっとも重要なものは「創造主は存在する」という考え方です。エホバの証人の言うような神かどうかは一旦置いておいても、この世界を創ったなにかが存在すると思う考え方は、なかなか抜けません。

  ですので、創造主信仰が強いと、エホバの証人を離れても、また別のキリスト教的宗教へと引き寄せられたりすることが多々あります。

 また、「ハルマゲドンで滅ぼされる」という感覚も、なかなか抜けない思考パターンのひとつです。

 人間ですから、いわゆる神から見て罪な行動をとってしまうものの、どこか天上からすべての行為を見られている、という感覚も抜けないものです。



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 ということは、エホバの証人を離れた、その後に待っている世界であなたが再構築すべきなのは、まず


「神とあなたの関係性を、きちんととらえ直すこと」


に他ならないでしょう。


 そのためには、「神・創造主を信じたままでいる」ことはOKだと思います。それを否定する必要は、まったくありません。


 ただ、その神は、「あなたを裁いたり、傷つけようとしたり、滅ぼそうとしたりはしない」 ことをまず受け止めてください。




 なぜ、そう言えるのかは、ここでは一旦保留にします。むしろ、あなたの人生の再構築作業の根幹は、


「あなた自身が、組織や会衆や解釈というバイアスを通さず、『神とは、結局なんなのか』の答えを探す旅」


になるからです。




 これは、後回しでもいいですが、大事な作業です。なぜなら、これをほったらかしにすると、あなたはまた


「神とはこういう存在ですよ」


という別の情報に、(別の宗教に)心を支配される可能性があるからです。



  信仰を失うということは、あなたの心の軸足を失ったり、こころに大きな穴があくのと同じですから、かならず人は何かでそれを埋めようとします。


 それが新しい宗教であったり、異性であったり、新しい人間関係であったりするのが世の常ですが、あなたが離反によってあけた穴は、



 最終的には、自分自身でふさがなければならない



のです。



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 エホバの証人を辞めた後に、いわゆる「いい子でいることをやめる」行動に出る人たちも一定数います。特に若い人たちに多いことでしょう。


 実は、それもあえてしなくてもいいと思います。そう、あえて悪事に走ったり、不道徳な自分を肯定する必要もないのです。


 どうしてこういう行動を取りがちかと言うと、神の目線からみて「アウト判定を受けた、レッドカードを突きつけられた」者たちは、どのみちアウトで道を外れたのだから、


「それでいいじゃない」


と自分を悪で肯定することで、なんとか心の平静を保とうと試みるのです。



 しかし、そうして自分を偽悪者にする必要すらありません。もっとニュートラルでかまわないのです。



  なぜかわかりますか?



 その答えは、

”そもそもあなたにアウト判定、レッドカードを突きつけた基準や判定そのものが、有効ではないから”


です。



 あなたが排斥されたり、離反することになった大前提は、あくまでもエホバの証人という教義における解釈上の基準や判定であって、神が決定した事項ではありません。



 この解釈というのがとても重要です。



 たとえば、モーセの十戒で考えてみましょう。これは、聖書に書いてある神の記述ですから、エホバの証人の定めた決まりではありません。


 
出エジプト記の20章7節には


「エホバの名前をみだりに取り上げてはならない」


という旨のことが書いてありますが、これを字義どおりに解釈すれば、あえて「エホバの証人」を名乗らなくても「神の証人」でもいいことになります。


 しかし、ものみの塔の書物には「エホバ」ということばがみだりに出てきますし、みなさんもふだんから「エホバ」と声に出していることでしょう。



 もし、神にその解釈をほんとうに委ねるならば、エホバの証人は全員アウトかもしれない。それほどまでの畏怖を覚えて神と向き合っている証人はいるでしょうか?


 そうです。みなさんはすでに、エホバのことばよりも協会のことばを信じているわけです。


 もう、みなさんは最初からアウトだったのです。




 おなじ十戒の最初の節には


「神をにくむ者には、三代・四代に渡って処罰する」


と明記してあります。


 あなたの両親や祖父母が信仰に反対しているならば、あなたはどんなに頑張ってもアウトです。だって、孫だから。



 でも、正しい信仰を持っていれば救われる、と誰が言ったのですか?それは誰かの解釈であって、神はそうは言っていない。不思議なことに。




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 まあ、こんなことを言い出すときりがないのでやめておきますが、みなさんはそもそも、


「聖書を最初から最後までちゃんと読んだことがない」


人が大半だと思います。聖書というのはよくできていて、最初から最後まできちんと読むと、


「エホバがどういう神か、はっきりとわかる」


ように書かれているのです。それは、エホバの証人の解釈とはずいぶん異なりますが。



 もし、興味があれば、いちど最初から最後まで聖書を読んでください。新世界訳でOKです。


 おもしろいことに、エホバの証人の新世界訳聖書は、教義上都合が悪そうな箇所でも、いちおう真面目にちゃんと訳出していますので、矛盾がそこかしこに残っています。


 それを、「解釈」で、つじつまを合わせてきたのが、宗教というものなのですから。










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