2014年1月25日土曜日

■<4>いろんな宗教を知っておこう その1 一神教と多神教

 みなさん、おはこんばんちは。


 「さとりますっ」こと、武庫川散歩です。

 (知らない人はドラマ「SPEC」のDVDを借りてきてください)


 それにしても、私のことを「悟りを開いた」わりには、かなり俗世的なヤツだな、とうさんくさい目で見られているかもしれませんが、すごく高尚で霊的にステージが高そうな振りをして金銭を巻き上げる悪党もいるようですから、それと比較してお好きなほうを信じてやってください。


 だいたい、難しい顔をしてそれらしい話をするのは嫌いなので、ざっくばらんに好き放題書くほうが性に合っています。いやいや、もしかすると、全ての人にわかりやすいように、あえてこんな書き方をせよ、と神様が指図しているのかもしれませんよ!なーんて。



 読んでて楽しい、感じて救われる、世界のどこにもない「エンターテイメント解脱」を目指します。



 キリスト教(プロテスタント)のいちスタイルとして、ゴスペルという音楽ジャンルがあります。踊るビートとクラップ(拍手)を交えながら、ウキウキ賛美歌歌うぜブギウギというもので、わかりやすいのは「天使にラブソングを」という映画です。

(ちなみに、あの話は、カトリックの教会なのにプロテスタントのゴスペルスタイルで歌う、というところが、ちょっとネタとして面白いのですが、日本人にはそこまでわかりませんな)

 信仰や真理というものは、かしこまっていればいるほど「ありがたい感じ」がするかもしれませんが、本質が大事でスタイルはどうでもいいことです。中身がきちんと詰まっていれば。


 日本のとあるお坊さんたちが、歌って踊って説法を伝えるバンドを結成したのですが、そのバンドの名前が

 シャクソンファイブ

というそうです。吹きました。

 いいなあ、こういうの好きだなあ。


=======

 話がどんどん脱線しますね。もとに戻します。

 「悟りを開く」上で、じゃあこれまでどんな考え方や宗教や哲学があって、私たちの先輩はどんなことを考えたのだろう、と思うのは当然なことだと思います。

 また、「この世界はどうしたはじまったのか」についてどんな説明をこれまでの宗教はしてきたのだろう、と思うのも当たり前です。

 そこで、今回からしばらくは、ざっくりあっさりと、旧来の宗教について簡単に説明してみようと思っています。



 まずは、宗教の分類として「一神教と多神教」という分け方があります。

 一神教は、とりあえず「神様は一人しかいない」と考える宗教です。そして、多神教は「神様はいっぱいいる」と考えます。

 たとえば、キリスト教は、天地を作った神様(エホバ・ヤハウェ)が一人だけいる、と考えます。なので、一神教です。

 日本の神道は「八百万(やおよろず)の神」というほどですから、火の神様とか、土の神様とかああらゆるものに神様が宿っていると考えます。多神教ですね。


 ところが、実際には、なんとなくですが、一神教でも多神教の要素が混じったりすることがあるので、

(キリスト教の神は一人なんだけれど、サタンがいるとか天使がいるとか、神っぽいものが複数いるとか、釈迦・ブッダを中心に広がった仏教なんだけれど、いつの間にか菩薩やら如来やら、仁王さんやら、いろいろいるとか)


ここでは、一神教は

「唯一神教」

のイメージで捉えておくとよいと思います。唯一神教のポイントは単純明快です。それは


「ひとりのある神が、この世界を作った。創造した」


ということです。



 唯一神教では、「ある神様だけが真実で絶対」だと考えますから、この世界を創造した「その神様」だけを信仰します。それ以外の神はすべて偽者、でおろかな人類が勝手に作り上げて祀っているだけだと考えます。なので、そうした偽者を信じているものはみな、

死んでしまえ

と思うわけです。あ、ちょっと言いすぎですね。そういう人たちに

いや、まずは真の神を教えよう

となるのです。

 でも、何度伝えても、やっぱりおろかでアホでバカでまぬけなため、やっぱり最後まで真の神を信仰しない者については、

やっぱり死んでしまえ

となります。まあ、口調は強めですが、そういう性格をもともと持っているのが一神教だと思ってください。




 多神教では、元来そこかしこに神様がいて、なんでもかんでも神性を帯びています。水にも神様、山にも神様、トイレの神様などなど。べっぴんさんになれるそうですよ。

 日本の神道はもっと面白くて、「全ての物に神性があるのだから、すべての人は神様になれる」と考えます。

 菅原道真は天神さんになりました。徳川家康は日光東照宮になりました。戦争で戦ったおじいちゃんは、靖国神社に祭られています。

 仏教も、もともとは違うのですが、後半になるとそうした多神教の要素を持ちます。なので、とあるお坊さんが即身成仏して仏になったり、もっと平たく言えば、仏教信者が亡くなると「仏さん」になるわけです。

 死んだ人が神性を持つと、何かしらパワーを持つので呪ったりたたったりするそうです。(というか、仏教系ではそういうふうに考えますね。キリスト教ではあまり祟りません)

 だから、交通事故で死んだ女の子の霊が現れたり、平将門が祟りを起こしたりするそうです。


 しかし、あえて私はいつも言うのですが、どうして廃病院で死んだ患者の霊が現れたり、平家の落ち武者の霊が現れたりするのに、古墳時代の豪族の霊が見えたり、ジャワ原人が槍を持って現れたり、ピテカントロプスの呪いが起きたりしないのでしょうか。


 部族の戦いで、恨みながら死んでいったピテカントロプスの霊に逢いたい!

 ネアンデルタール人が、憑いてますよ!って言われた人に話が聞きたい!

 アウストラロピテクスをバカにしたせいで災いが起きる子孫に出会いたい!


 間違ってますか?私。それともやっぱり私の肩コリは、ホモ・エレクトスが肩に憑いてるからなんですか?!



 ちなみに悟りを開いた武庫川散歩は、死後の世界と霊をあんまり信じてません。


 そりゃ、いるんだったらいるのかもしれませんが、いまあなたの立っているあたりには、何億・何兆もの昭和の人、明治の人、江戸時代の人、室町時代、平安時代、古墳時代、弥生時代、縄文時代の人の霊がうじゃうじゃ浮いてたりするんです。成仏できないウンババな部族とか、石器を持ってるおっさんとか、いっぱいいるんです。もう、みんな多すぎて何を言ってるのか、誰を呪っているのか、聞き取れませんよ。

 そんな中で、一人、交通事故で死んだみよちゃんの霊がどうのとか、私には聞き取れないです。

 横で源(みなもと)の某(なにがし)さんは弓を引いて私を狙ってるし、応仁の乱がどうのとか言ってるし、江戸時代に物取りに殺された源兵衛さんが泣いているし、王と一緒に埋められた「卑弥呼さまー!って言ってる鈴木Q太郎みたいな姿」のホニャララヌシさんが怒ってるし、もう大変なんです。

 
 そいつらがぎゅうぎゅう詰めで立ってるか、あるいはハリーポーッターのディメンターみたいに飛びまくっているというのですから、霊能力がある人は、そんなもんが見えて本当に毎日ご苦労様です。

 私には全く霊的なものが見えないので、本当に助かります。なーんて。

















0 件のコメント:

コメントを投稿